石 Stone

石との関わり方の観察するためのレクチャー、アクション、ディスカッション、ゲーム CSLABホームページ

Observe how to deal with stones through lectures, actions, discussions, and games 
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この講座は4回の連続講座で1〜4回においての石を使ったワークを参加者が行い、その経験をそれぞれの制作や思考にフィードバックすることを目的に企画しました。

各ワークでは、石との関わり方を元に物の見え方を探り、それがどのように共有されまたは共有されないかを確認していきました。

第一回[石を拾うー導入・石の話をする]

歴史のなかで様々に使用されてきた石は、使用者によって様々な捉えられ方、扱われ方をします。

第一回はこの講座全体の導入として、石に限らず人間のものの見方を、とりあえず二つに分けることから始めました。

一つは生物としてのヒトが、長い時間をかけて環境との相互作用により、身体の機構によって環境から物の存在を受け取る仕方としての「手続き的知覚」です。これはゾウリムシが単純な刺激によって、ほぼ機械のように進行方向を決定する仕方や、目がレンズや視神経によって外部情報をとりこむ機構を例に出して説明しました。これらは人間の身体も他の物と同じく環境との連続的な応答関係にあるということです。これは視覚のみに限られませんが、第一回では石を拾うことと結びつけて考えるため、見る方法としても後述の「観念的な見方」と対比させています。

上にも書きましたが、もう一つを「観念的な見方」としました。上の見方は環境との応答関係が強いですが、この見方ではそこに蓄積された経験から呼び出したレイヤーをかけることになります。言葉によって物に輪郭を与える見方と言ってもいいかもしれません。コップというものは視覚的には机と地続きに存在しますが、多くの人間はそれが飲むための液体を入れておいて、手で掴み口まで運んで傾ける物だと知っています。そのおかげでコップは机とは別に認識され、もしコップの中身が筆を洗って絵の具が溶け込んだ水でも、不用意に飲んでしまうことがあります。

さらに「観念的な見方」は文脈や形式を参照します。例えば制作現場にあるコップは、制作という文脈の中で飲み物を入れる以外の役割をおう可能性が高いことを私たちは知っています。だから誰かのスタジオで、覚えのないコップと自分の飲み物が入ったコップが机の上に並んでいたら、手元に気を配るようになります。

私たちは日常的には後者の見方を強く働かせています。その場所に無い判断基準を記憶から照射することで、文脈や形式に沿って物を見ることができます。歴史に残っている石との関係は、石器やケルンや墓石など、その形から形式が見て取れます。現代でも、水石や鉱石など形式や用途があるもの、または科学的な文脈で見ることで石や化石を分類する見方があります。

ここで唐突なのですが、皆さんは石を拾って気に入って持ち帰ったことはありますか?

第二回では参加者に石を拾ってきてもらったのですが、石を拾うときには多くの場合、普段よりも観念的な見方が弱くなるような気がしています。もちろん分類にこだわって石を探すこともありますが今回はそれは除外します。

ではどのように大量にある石の中からいくつかの石を選ぶことができるのでしょうか。

用途も経済的価値もなく文脈も形式も弱い対象に、即時的な判断を下せるのはなぜなのか。

環境から切り取って持ち帰った石を友達に見せても、良さが共有できるのはなぜなのか。

以下石をひろう前にあげた予想

・模様や形の整い方が、見立てのような見方で目を引く

・他の石との比較による希少性で判断している

・蹴ったりして遊んでいる間にコミュニケーションが起き親密になる

・これらのことがとても弱く、もしくは底の方で起きることで早く判断できる

このようなことを念頭に、石を拾いつつ拾っている自分自身を観察してもらうワークを宿題にしました。

第二回[石の配置1ーお気に入りの石を持ち寄る]

第二回では事前に拾ってきてもらった石を使って遊びました。

まず各自の石をテーブルに1人ずつ順番に配置してみました。配置のためのルールは「いい感じにする」という曖昧なものにしました。

このルールに従ってただ石を置くだけですが、それぞれの中で良い配置が探られ、即興で「いい感じ」が共有されていきました。

次にCSLABの中全体を使って同じルールで石を配置していきました。空間に対して石の大きさが小さく、机の上で起きていたような視覚的な判断はできなくなります。代わりに床に置く、目立つように置く、高所におく、さりげなく置くなどの置き方のバリエーションが生まれました。また広い空間に配置することで、小さすぎたり視野の外にあって見えない場所に石があっても、その位置が他の位置よりも意識され、空間認識に変化が生まれたように感じました。

これらのワークのフィードバックをし、次の宿題のための導入も行いました。

次回の宿題は、拾ってきてもらった石のうち一つを自分がよく通る公共の場所に配置し、配置した石は最短1週間後に回収する、というものでした。石が盗られる場合もありますが、拾ってきたお気に入りの石が盗られるリスクをどの程度回避するかは各自に任せました。

配置場所は自分がよく通る場所なので、回収する日までその場所を通る時に自分の中で起きていることを観察してもらうことにしました。

最終回の投石と今回の石の配置を合わせると、公共の場所に武器になり得るものを仕込むような繋がりも密かに楽しもうと当初は思っていました。ですがこの時には直前に行った机上と室内の配置のワークによる文脈の共有や空間の変化がどう拡張されるのか、変化するのか、ということを足がかりに次の配置に臨んでもらうことになりました。

第三回[石の配置2]

公共の場所への石の配置と観察、回収のフィードバックを行いました。

結果として出した課題とは違った内容での配置を試した人もいて、バリエーションが増えました。

小山

場所:駅と家の間で駅よりの場所にある植え込みに配置。

理由:人通りが多いこと。植え込みの向かいにあるカラオケ店前で酔った人が屯してたりして威嚇されるような空気感があるので、不穏な空気を感じたら植え込みの石を見たり拾ったりする行為で往来のルールから外れることができるかもしれないから。

結果:最初の1、2日は石の存在を確認しながら歩いた。その時石が動かされていて心配になった。それ以降は石があることを特に意識しなくなった。よく歩く場所では考えることや視線のルーティーンが決まっていて、そちらが強く働いたと思う。回収は成功。

池上

場所:駅の近く。道路の拡張工事のために仮設された歩道を仕切るガードレールを支える鉄骨の下。飲み屋の向かい側。

理由:拡張工事で仮設された歩道なので、動線がはっきりせず人が座ったり止まったりできる雰囲気がある。飲み屋の外で屯する人たちが石を見る可能性がある。

結果:毎日撮影した。他の人にばれていないか気になった。気になっているのは自分だけで他の人は全く気にしていない可能性もあった。数日して石の隣にゴミが落ちていたので、石も処理されるかと思ったが石は残った。雨が降った次の日に石が無くなっていた。回収は失敗。盗られたのか捨てられたのかは不明。

富永

場所:地元の友達Aの家の冷蔵庫に一つ、地元の友達Bの車に一つそれぞれ許可を得て配置しもう一つを自分が持ち歩いた。

理由:星座の形には無理があるなと思っていたが、点がそこにあることが大事そうだという考えから友達同士を結ぶポイントとして石を配置した。

結果:自分が持っているので他の二つの石のことも思い出すことはあった。その後同じ場所に置いてあるかはわからない。

場所:街灯などの野外照明で夜になると石の見え方が変わる場所

理由:昼間は普通の石だが夜になると見え方が劇的に変わることを期待した。その状態を写真撮影したかった。公共の場にある照明を作品のための照明として使うこと。

結果:街灯などは拡散配光であまり劇的な変化がなかったため作品の照明としては適当ではなかった。

井口

場所:駅の出窓。駅のテイクフリーラック。フェンスの網目。

理由:

結果:

各自色々な場所に配置してくれていました。

公共の場所に設置することで、同じ場所に対する認識の差が鮮明になることを予想していましたが、知らない誰かが石を見つけていたり、往来の中の他の人も自分と同じように固有のルーティーンを持っている可能性に気が付くなどの結果でした。富永さんの配置は当初定めたやり方とは違ったけど、写真と合わせて遠くに石があることの不確かさと確かさが、実感として手元に残った状態が表現されていました。池上さんの石が無くなってしまったけど、どこかにあるということに優しい補助線を引いたようにも感じられます。

第四回[投石]

石は人間が使っていた最古の武器です。狩猟や戦争で使われました。現代でも投石による事件や暴動で石が投げられます。

普段ほとんどの人はそのような石の使い方はしませんし、この講座でもそういうこととは全く違った石との関わり方をしてきたつもりです。

でも河原などで遊びながら何もないところに向かって、石を投げたことがある人は多いと思います。石を持ったら投げたくなる。その延長に武器としての石があるのかどうかは分かりませんが、的を用意して武器のような使い方を仮定して石を投げてみることにします。

石の投げ方の指南は元野球部で140キロの球を投げていた森さんにお願いしました。

各自石を投げたくなるくらい嫌いな事、物、人をイメージしてもらって、その位置をベニヤ板の表面に仮定してから投げてもらいました。その時の自分の状態も観察します。

石をできるだけ早く、正確に標的に当てるためには体のコントロールが必要で、複雑な手順を要します。

石を目標に向かって投げる際にはそのことが大きく意識のリソースを占めていて、最初に想定した石を投げたい対象への思いなどはほとんど残っていませんでした。

これは、攻撃の際にはそのプロセスが理由よりも前面に出て、より完成度の高い遂行に向けて行為していたということや、ベニヤ板がイメージした攻撃対象とあまりに離れていたことで起きたのかもしれません。(そもそも人間に本気で石を投げようとは思えないし。)

繰り返し投げてベニヤ板がボロボロになると、板がかわいそうに見えるという感想も出ていました。


2023年 CSLAB(東京造形大学)

ポスターデザイン Miyu Ikegami

写真 Takumi Ohzawa